4 Mar.2022 VOL.01入場者でごった返す大阪万博の会場 = 写真上(共同)「会場全体がタイムマシンで訪れた近未来社会のようだった」と大阪万博を振り返る白井達郎さん= 写真左大阪万博のスタンプ帳(左)とパンフレット。今も保存している人は多い「万博」と聞くと、いまだに1970年に開かれた大阪万博を思い浮かべる人が多い。太陽の塔のミニチュアなど当時のグッズはいまも人気だ。EXPO'70では何が来場者の心をつかんだのか。日本一の万博グッズ収集家として知られる白井達郎さんに聞いた。大阪府池田市の住宅街にある白井さんの自宅。ガラス面に「URUGUAY」と書かれた玄関の真っ青な鉄柱が目を引く。大阪万博のウルグアイ館の一部で、兵庫県内のラーメン屋で使われていたのを白井さんが見つけ、店が休業したときに譲ってもらったものだ。70 年当時、白井さんは高校1年生。万博の開幕前から何度も吹田市の会場近くまで自転車を走らせ、パビリオンが次第にできていく様子を遠くからながめて期待に胸を膨らませていたという。そして迎えた70 年 3月14日の万博開会式。テレビでそのニュースを見た白井さんはいてもたってもいられなくなり、2日後に初めて入場した。「後から考えると、会期中で入場者が最も少ない日でした。開幕直後だし、寒かったからでしょう。アメリカ館やソ連館、三菱未来館など主だったパビリオンを1日で見て回ることができました」当時の最先端技術を駆使したユニークなパビリオン。巨大スクリーンに映し出される映像。動く歩道や電気自動車、宇宙船、リニアモーターカー。そして世界中から集まった人たち…。初めて見るものばかりで、会場全体が近未来のようだったと白井さんはいう。夏休みに入ると、会場内のレストランでアルバイトをはじめ、空き時間にパビリオンを見て回った。半年間の会期中に入場回数は25、6回にのぼり、全パビリオンを2回以上見ることができた。この時、白井さんが夢中になったのが展示内容を紹介したパンフレットや来場記念のスタンプなどを集めることだった。「パンフレットを一番多く配っていたのがソ連館でした。共産主義をPRするためか、ソ連の医療や教育のパンフもありましたね。わが家に段ボールひと箱分残っています。対照的にアメリカ館は関係者向しか作っていません。それも後に手に入れましたが…」表紙が一緒でも複数のバージョンを作っていたパビリオンもあった。例えば、タイムカプセルを展示した松下館では、コンパニオンを登場させたり、写真を変えたりして10 種類ほどあったという。記念スタンプはパスポートサイズのスタンプ帳に押してもらったが、これにもレアものがあったという。「地方自治体館では各都道府県の『県の日』があり、その時だけ押してもらえるスタンプがありました。民間パビリオンでは協賛企業のスタンプもありましたね」会場の売店では、パビリオンの写真の横にあらかじめスタンプが押されたスタンプ帳も売っていた。大阪万博の3年前のモントリオール万博でスタンプ集めが人気となり、コンパニオンが対応で忙殺されたため、大阪では事前に押したものが用意されたそうだ。スタンプと一緒にこどもたちの間で流行ったのが外国人のサイン集めだった。有名人やコンパニオンだけではなく、こどもたちは無名の旅行客にも「サイン、プリーズ」とサイン帳を差し出した。外国人ではないが、白井さんはジャズトランぺット奏者の日野皓正さんにサインをもらうことかできた。アルバイト先のレストランがコンサート会場の万博ホールの隣りにあり、たまたま休憩中の日野さんを見かけたのだという。「実はこれが一番の宝物です」と笑う。このほか、入場券や会場マップ、絵はがきなどが白井さんの万博コレクションに加わった。会場で配布されたミニマップは表紙や地図は同じでも裏面の広告が異なるバージョンがあり、訪れるたびに違うものをもらえたという。その種類は現在までに30以上確認している。入場券も普通券や夜間割引券などさまざまな種類があるという。 パンフとスタンプ集めに夢中だった万博グッズ収集家、白井達郎さんに聞く
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