EXPOST VOL.4
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4稿マえはバメ物しをドグ観礼「万ン観生自万博の種類Nov.2023 VOL.04 グリーマンさんがドバイ万博で撮影した写真。インスタグラムなどに投稿している(本人提供)2021年から22年にかけてUAE(アラブ首長国連合)で開かれたドバイ万博で、各国のパビリオンのスタッフらから「グリーンマン」と親しみを込めて呼ばれた男性(42)が大阪にいる。帽子からサングラス、ネクタイ、ベスト、ズボン、靴まで緑色で統一しているのが、その名の由来だ。このスタイルで2010 年の上海からドバイまで5回の万博に長期間訪れ、親しくなったスタッフは数十人にのぼる。万博開催中は、そんな知り合いにスタッフ用宿舎に泊めてもらったり、一般の観客は入れないエリアに案内してもらったりしているという。達人・グリーンマンさん流の万博の楽しみ方とは‐。「カザフで見かけたよ」ドバイ万博開催中の一昨年暮れ、万博会場を出たグリーンマンさんは男性警官に呼び 止められた。「あれ、何かしたかな?」。一瞬不安になったが、笑顔を浮かべながら近づいてきた警官は「ユーをカザフスタンで見かけたよ。ドバイまで来てくれたのか」と、スマホの画面の写真を見せた。そこには、グリーンマンさんと中東の民族衣装を着た男性が写っていた。警官は、その4年前に中央アジアのカザフスタンで 開かれたアスタナ万 博でUAE館のスタッフをしていた男性で、写真はパビリオンの前でグリーンマンさんと一緒に記念撮影した一枚だった。男性はその後、帰国し、ドバイ万博では警備の仕事についたのだという。ドバイでは、トルクメニスタン館のスタッフからも「以前開かれた万博で見たよ」とグリーンマンさんは声をかけられた。これほど万博関係者の間で有名になったグリーンマンさんだが、昔は万博にそれほど関心はなかったという。大学を卒業後、介護士の仕事や家業の手伝いをしていたグリーンマンさんは2010年5月、初めて海外旅行をすることになった。その時、行き先としてたまたま選んだのが万博を開催中の上海だった。だが、会場を訪れたその日のうちに万博のとりこになった。「すごいパビリオンが立ち並び、世界から集まってきた人たちがいる。世の中にはこんな楽しいイベントがあったんや」「万博をもっと見たい」と思ったが、2泊3日の予定だったため、2カ月後、再び休みを取って上海を訪れた。全身緑色のスタイルをしたのは、この時からだ。普通の格好で行った最初の訪問時、あるパビリオンでスタッフと仲良くなったが、翌日、再び入館すると相手は覚えてくれておらず、残念な思いをした。「やっぱり目立たないと…」。そう考え、緑色のTシャツを持っていたことから、ひらめいたスタイルだった。万博は「国際博覧会条約」に基づいて開かれる博覧会。5年ごとに開催され、開催期間最大6カ月の登録博覧会と、登録博の間に開かれ、開催期間最大3カ月の認定博覧会の2種類ある。グリーンマンさんが訪れた上海、ミラノ、ドバイは登録博、麗水、アスタナは認定博だった。2025年の大阪・関西万博は登録博だ。たグリーンマンさんは館長から記念品としてパビリオンのロゴマークを渡された。「このロゴは大阪・関西万博まで預かっておきます。3年後、大阪で会いましょう」。グリーンマンさんがそうあいさつすると、会場から割れんばかりの拍手が起きた。マイスタンプと寿司パーティー海外の人と交流するには外国語、とくに英語をしゃべれることが必要だ。しかし、グリーンマンさんは「言葉はダメなんです」と笑う。麗水万博のあと、ワーキングホリデーで1年間、オーストラリアに滞在したが、周囲にいるのは日本人ばかり。寿司屋で働いたこともあり、英語はあまり上達しなかった。ただ、自分がやりたいことを英語や現地語でどう表現するかを、日本を出発する前に調べ、あとは知っている単語を並べると、意外と意思は通じるという。グリーンマンさんには万博での独自の「楽しみ方」がある。それが言葉以上に、外国の人たちとコミュニケーションを深めるのに役立つツールとなっている。その一つがスタンプだ。万博ではパビリオンで入場記念スタンプをスタンプ帳に押してもらうのが人気だが、グリーンマンさんは非常口のピクトグラム(絵文字)をアレンジした「マイスタンプ」を持っている。ドバイでは香港からの観客にスタンプを押してあげたところ、その人が 交 流サイト(SNS)で発信し、会場のあちこちで「自分にも押して」と頼まれるようになった。ホテルでグリーンマンさんの帰りを待っている人まで現れたという。もう一つは寿司パーティー。海苔やお酢を日本から持参、オーストラリアの寿司屋で覚えた腕を生かし、現地で調達した食材を使って巻き寿司を握り、パビリオンのゲストルームやEXPOビレッジでスタッフたちと寿司パーティーを楽しむのだという。「食」がテーマとなったミラノ万博では、その回数は10数回にのぼった。1週間の滞在中、気に入ったパビリオンに「また来ました」と毎日訪れると、さすがにスタッフに顔を覚えてもらうことができた。その後、12年の韓国・麗水(よす)万博、15年のイタリア・ミラノ万博、17年のアスタナ万博、そしてドバイ万博を訪れたグリーンマンさんは、いつもこのスタイルを通し、スタッフらの間でちょっとした有名人になった。スタッフとの再会が楽しみにパビリオンのスタッフは次の万博でも働いていることが多い。グリーンマンさんにとって、顔なじみになった人と再会できるのが万博での最大の楽しみになった。麗水万博で知り合ったスイス館のスタッフ、ゼノさんとは3年 後のミラノで再 会。50日間ほどの滞在期間中、スタッフ用宿舎のEXPOビレッジにずっと泊めてもらったり、スイス館の入場パスをもらったりした。ドバイでもミラノ万博で働いていたポルトガル館のソラヤさん、バングラデシュ館館長のマーティンさんらと再会。今年6月にはドバイで知り合ったルーマニアの万博ファンが大阪に訪ねてきた。ドバイ万博には仕事をやめて計4回訪れ、延べ70日間ほど滞在した。パビリオン巡りの合間には、ルーマニア館でスタッフの誕生パーティーに参加したり、アイルランド館のライブショーに招待してもらったり、カタール館の館長にランチをごちそうしてもらったり…。2回目の訪問時には、その直前にロシアによるウクライナ侵攻があり、各国のパビリオンがウクライナを応援するため同国の国旗を掲げるなど会場の雰囲気が変わっているのに驚いたという。閉幕日の3月31日。グリーンマンさんはオーストラリア館の館長からパビリオンの閉館式に招待された。実はグリーンマンさんは開幕日にも同館に一番乗りしており、司会者から「オーストラリアをこよなく愛する日本人」と紹介された。ステージに上がっ緑のスタイルで万博の「有名人」に大阪在住の達人・グリーンマンさん

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