真生印刷常務取締役紀之定正一6と生こ能路や 港農れど後な一 月な〜円てき開万博と淡路島から真に豊かな社会を3最Profile 紀之定正一 1983 年、真生印刷に入社、現在、同社常務取締役兼LAB.AS 取締役。地域・未来コーディネーターとして堺市を中心に大阪・泉州地域で地域貢献活動にかかわっている。大阪・関西万博の参加型プログラム「共 創チャレンジ」にも取り組んでいる。 Nov.2023 VOL.04 紀之定正一さん建築家の板坂諭さんがデザインしたパビリオンの予想図。アンモナイト型の建物だ(パソナグループ提供)総合人材サービス大手のパソナグループが、創業の地である関西で2つのプロジェクトを進めている。大阪・関西万博へのパビリオン出展と淡路島(兵庫県)への本社機能の一部移転だ。この2つを結ぶ点と線とは‐。伊藤真人常務執行役員に聞いた。紀之定正一さん 9月7日に夢洲でパビリオンの地鎮祭を行われました。伊藤真人さん 地鎮祭では淡路島にある伊奘諾(いざなぎ)神宮の宮司さんに安全祈願をしていただき、巫女さんの神楽を奉納してもらいました。伊奘諾神宮は国生み神話の神社。日本で一番古い神社といわれます。出席したゼネコンの方も「こんな地鎮祭は初めてです」と驚いていました。紀之定さん パビリオンのコンセプトは「いのち、ありがとう。」ですね。伊藤さん 自然が私たちに与えてくれる豊かな恵みに感謝し、今生きていることに(聞き手は真生印刷常務取締役、紀之定正一さん)「ありがとう」と言い合える。そんな世界をつくり、次の世代に残したいという思いが込められています。パビリオンはアンモナイトのようならせん構造となりますが、それには2つの意味があります。1つは約4億年前に登場し、3回の大量絶滅期を生き延びたアンモナイトは「いのちの大先輩」といえる存在であること。さらに自然界には宇宙の星雲から人間のDNAまで様々ならせん構造のものがあります。つまり、らせんは「いのちの象徴」ともいえるからです。展示では、生命の誕生から現在までいのちをつないできた心臓にスポットを当てます。 42 開 20紀之定さん 先日の記者発表会で南部靖之パソナグループ代表は「1970年大阪万博の『月の石』に匹敵する展示になるのでは」と期待を寄せられました。伊藤さん iPS細胞(人工多能性幹細胞)による再生医療の第一人者、澤芳樹・大阪大学名誉教授をエグゼクティブプロデューサーに迎え、iPS細胞から心筋細胞を作成しシート状にした「iPS心筋細胞シート」を展示します。山中伸弥教授らが発見したiPS細胞で初めて実用化されたのがiPS心筋シート。心臓移植や人工心臓以外に有効な治療法がない重症心不全の患者さんに治療効果が期待される画期的な技術です。万博では、本物の心臓のように動いているところを見ていただく予定です。紀之定さん 案内役は手塚治虫さんの鉄腕アトムとブラック・ジャックです。伊藤さん 心を持ったロボットのアトムは人間と科学技術の調和の象徴といえます。展示では、進化した「ネオ・アトム」がパビリオン全体のナビゲーターを務めます。天才外科医のブラック・ジャックは誰よりも患者を救いたいという強い意志を持っています。「生命とは何か」「人としての幸福とは何か」を問いかけ、iPS心筋シートなどの最新医療テクノロジーを紹介します。紀之定さん それにしても人材サービスのパソナグループが、いのちや再生医療をテーマに選んだのはなぜですか。伊藤さん 当社は1976年の創業時から「人を活かす」ことを目指し、最初は家庭に入った女性、その後、若者やシニア、障がいのある人など、年齢や性別を問わずに誰もが好きな仕事を選択して社会で活躍できる機会を創造してきました。2000年以降は地方創生や地域活性化、さらに農業人材の育成に取り組むようになりました。最近は、あらゆる人が活き活きと働き、幸せに暮らすことのできる真 に 豊 かな 社 会 である「ミューチュアル・ソサエティ」の実現を目指しています。そんな時、南部が知り合ったのが澤先生です。先生は「難しい手術をしても、一方で貧困や戦争で多くの人が亡くなっており、医療の限界を感じている。命のあり方を考えてみたい」とおっしゃいました。アプローチは違いますが、思いは一緒です。これが再生医療をテーマに万博に出展するきっかけになりました。紀之定さん 万博が開催される2025年度は創業50周年。阪神・淡路大震災から30年目にもあたります。パソナグループは被災地の復興支援に取り組まれましたが、そのあたりも意識されたのですか。伊藤さん そのことは後から気がつきました。震災当時、私は入社1年目で、自身が被災者でした。震災は当社にとってもターニングポイントになったと思います。5年間で5万人の雇用を創出することを目標に復興プロジェクトを始めましたが、被災者に働いてもらう仕事自体がなくなったため、自分たちで仕事を創出しなければなりませんでした。それが淡路島などでの地域創生事業につながっていると思います。紀之定さん コロナ禍の2020年、本社機能の一部を東京から淡路島に移転する
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